今日という日は残りの人生の最初の日

人生を充実させるコツは、より多くのものを好きになること。

替え玉人形はどっち? ―『DUMMY』を聴いた感想

こんにちは、アンです。

「曲の感想を長々と書くだけ」の毎日ルーチンも今日で最後になりました。
幸せな8日間だった。終わりたくない。あと100曲は書ける←
 

■DUMMY feat.mihako

▼Lyrics&Music:mihako様

VOCALOID MV

IllustROROICHI様 
Bassペロ様 
Vocal:音街ウナ
 
田口淳之介 MV

DirectorKo様
Hair&Make原みさと様
StylistKEITA UCHIDA様
CostumeACUOD by CHANU様 
      COMMUSE様
Special ThanksAIR GROUP様
 

■田口さんによるレビュー・制作過程

ツイキャスにmihakoさんが参加されていなかったこともあり、田口さんやご本人様からのレビューや制作過程のお話が全く拾えませんでした、すみません…
 いつかどこかでお話を伺う機会があれば追記させていただきます。
 

■mihakoさんのこと

・中毒性のあるメロディとエモーショナルな言葉選びで独自の世界観を奏でる、少し尖った異端のルーキー。
・実写映像やストーリー性を散りばめた奇抜なMVにも定評がある。
・代表作「アブノーマルワンダーシティー」「秘密結社」。
 (告知Twitter紹介文より抜粋)
 

■mihakoさんのオススメ楽曲

▼アブノーマルワンダーシティー

 

田口淳之介ver.MVについて

・サビ部分の独特な振り付けは、撮影場所に行く最中の車内で田口さんが自分で考えたもの。TikTokにありそうな雰囲気の振付にしてみた。
(夢とか、感情のぶつかり合いとか、鳴いてっていう歌詞と綺麗にリンクした振り付けは何とも彼らしい)
・作中でシャンパンを飲むシーンがあるが、実はあれは本物のシャンパンではなくジンジャーエール
(流石に撮影で酔っぱらうわけにはいかなかったか 笑)
・撮影場所は新宿のホストクラブ。
(新宿…ホスト…シャンパン…黄金の薔薇…。これらの要素に反応した方は私ときっと趣味が合う)
・ボカロ版MVにも実写のシーンや田口さんの姿が少しだけ出てくる。
・MVの中では一番最初に撮った作品。
 

■総括

前作、ジュウゴノシンゾウとは対照的な締めくくりの曲でした。
「Dで始まり、Dで終わる」という構成にはなっているようですが、まさかこんなリズミカルな曲がラストになるとは!
 
この曲に関しては本当に解釈が難しくて、MVの方も独特の雰囲気はあるものの歌詞とリンクするような部分がなかなか分からず…
しかし、ボカロ版のMVが公開された時点で、何となくですが感じるものがあったのでレビューが書けそうです。
決して田口さんの振り付けが可愛いだけの曲ではありません!笑
 
まず、全曲実写MVがある中で、唯一ボカロ版と実写版がリンクした映像となってましたね。
「実写MVを全曲撮る!」と本人から聞いた時は嬉しい反面、「折角のコラボだからボカロを感じる映像も欲しいなぁ」って思ってました。
だから、ティーザーでボカロ版のMVの絵であろうものをバックに歌っているのを見た時は「これこれー!」ってテンションが上がりました。
 
さて、肝心のリリック部分ですけど、若干ラップ調のリズムに独特な言葉がたくさん並んでて、世界観を思い浮かべるのが難しいです。
田口さんのMVにあるシャンパンだとかチェスにヒントがあるのか?とか色々考えるも、どうも結びつかない。
そんな中、唯一映像と歌詞がマッチしたのがここです。
 
『鋭利なYELLOW』
『濡れた艶やかな赤』

 東京グレースケールと同じく、この曲にもありますね、「色」の表現。

あっちに比べたらこの2色が何を表してるのか正直分からないんですが、多分「僕」と「君」という2人の人物を表した色かなぁって思いました。
 
田口さんのMVには、シャンパン・シャンデリア・黄金の薔薇といった「黄色」のアイテムがたくさん出てきます。画面全体が黄色っぽく見える効果も所々で入ってますね。
一方ボカロ版は、真っ赤な背景に赤い王冠(絵の中の人物が被っている)、赤い薔薇と、全体的に「」を感じる映像です。
歌詞に入っている色の要素が、それぞれの映像に落とし込まれているように私は感じました。
 
色味の異なる映像ではありますが、どっちにも夜のお店っぽい雰囲気はあり…
それからすると、
「鋭利なYELLOW」=ホストの男性
「濡れた艶やかな赤」=女性客
…っていうのが率直なイメージですかね。
 
あと、そもそも曲名の「DUMMY」ってどういう意味でしたっけ。
…いや、何となくは分かるんですけど説明しろって言われると難しくないですか。
そういう時は調べるに限ります。
 
dummy(ダミー)の意味と使い方
――人間に見せかけた人形ダミー人形マネキンといった意味になります。dummyだけでマネキンのような人形を指すことができます。
――「見本模造品代用品」など特に検査やチェックなどのために使われます。また形容詞で「見本の」の意味にも使えます。
――愚かな人を指すこともあり、「ばかのろままぬけ」といった意味になります。

 

仮にこの曲が「とあるホストの男性から見た女性客への思い」だとすると… 

『ほら 君なんて親愛なるダミーさ』
っていう言葉、とんでもなく酷いな!って一見思います。
「人形」て。「代用品」て。「間抜け」て。
…うん、でも実際のところそういうもんだよねあの世界は。
 
しかし、それって本当に男性側だけの一方的な考えでしょうか?
これだけで終わったらまるで単なる嫌な野郎の視点で描かれた歌詞みたいですけど、この曲と映像が表現したいのはそういうことではない気がするんですよ。
 
ボカロ版MVでは、実写版で田口さんのバックに映っていた絵が全面に出ているのは勿論のこと、途中で実写MVの田口さんの姿も少しだけ出てきます。
初めて見た時は「ボカロ版にも田口さんいる!」って単純に喜んだだけでしたけど、ひょっとしてあれって「女性側の視点」で見た彼なのでは?
 
また、両方のMVにチェスが出てきますが、ボカロ版のチェスの映像は、実写版MVの「見えない対戦相手」の視点だとも取れますね。
席に座ってチェスの駒を動かしている田口さんの向こうに、対戦相手はいません。(アングル的に映ってないだけかもしれませんが)
自分一人が一方的にキングを撃ち取ってるつもりだろうけど、実は相手だってキングを狙う手は持ってるんだぜ、みたいな。
(田口さんの駒はゴールド、ボカロMVの視点での駒はシルバー。ボカロ版に一瞬映る駒のイラストはナイト。田口さんが動かしているクイーンという最強の駒には劣るものの、動きによってはキングとクイーンを両取りできる超強い駒)
 
たとえホストが客のことを、まるで自我のない「人形」のように見ていたとしても、客である女性にだって自分の考えや思惑というものがあるわけで。
所詮疑似彼氏である以上、「いつでも乗り換えられる代用品」であることはお互い様だったりします。
ホストにとって代わりの客はいくらでも居るように、女性にとっても貢ぐ代わりはいくらでもいるんです。シャンパン入れてもらって浮かれてる場合じゃないんだよまったく。
 
『もう君だけではないからさ』
『もう君だけには興味がない』

 そんな風に思っている、もしくはこの先思う可能性があるのは女性の方だって同じかもしれません。

もし自分だけが相手を掌で転がしてるつもりなんだとしたら、「愚か」なのは果たしてどちらなのか。
 
『不埒な君のその本性』
『君は今何考えてる?』

 でも、所々でこんなことを言ってる辺り、実は薄々気付いていたりもするのかな。

そう考えたらラストのちょっと半音下がった『親愛なるダミーさ』は、少し自嘲気味に言ってるようにも聴こえてきます。
また、初めて見た時から気になって仕方がなかったボカロ版MVの英文の内容からも、そんな心情が読み取れるような気がします。(久しぶりに英文を訳したので内容には自信ない)
 
Luxury must be comfortable. otherwise it is not luxury.
 ―贅沢は快適でなくてはならない。そうでなければ贅沢ではない。
I cherish you. even if you are a “DUMMY“.
 ―大切にしている。たとえ“ダミー“であっても。
If someone betrays you once, it’s their foult. if you betray you twice, it’s your foult.
 ―1度裏切られたらその人の所為。2度裏切られたら自分の所為。
Happiness is not a goal… it’s a by-product of a life well lived.
 ―幸福はゴールではない… それは人生を豊かに生きるための副産物だ。
Don’t ponder, as most communication is filled with lies.
 ―ほとんどの会話は嘘で満たされているのだから、熟考する必要はない。
There are fake friendships and fake romance. Each of us our own way of enjoying it.
 ―偽物の友情もあれば、偽物の恋愛もある。それぞれの楽しみ方があるのだ。
(ナイトのイラスト部分で書かれていた英文は、一部がどうしても読み取れませんでした)

 これがどっちの視点で語られたものかは分からないけれど。

前述で話した私の推測が正しければ、両者のどちらが考えててもおかしくはないかと思います。
まさに、拘束が解けたらお互い何かが痛むのかもしれない、救えない関係ですね。
 
「考えることは自分も相手も同じようなもの」という、同じDから始まる1曲目とはまるで逆の感情を描いているように感じた楽曲でした。